
ジャケットが好きだ。とくに秋冬のジャケットが好き。
ジャケットを、着るだろうか?
「着るタイミングが無い」とよく聞くけど、nowhere elseでは、まず皆さん試着されるのがジャケットだったりする。
ジャケットを着てみたい。または、ジャケットに目がない のだろうと思う。
私は、隙があればジャケットを着たい。だけれども、暑かったりすると脱ぎたくなる。
この「一枚脱ぐ」という行為自体、ジャケットの好きなところだったりする。
「さっと一枚羽織る」という、「足す」提案のほうが、何だか得のような聞こえがして伝わりやすいけど
さっと一枚脱ぐ
一枚脱げるのがジャケットの良いところだ。脱いで膝にかけたり、椅子に掛けたりするのも良い。

私の作るジャケットは、なんというかピシッとしていない。
野暮ったい。あるいは抜けた感じがする と思う。
そうゆうジャケットが好きなんだ。けして、カッコよいジャケットを好んでいない。
カッコつけなくて、背中が丸いままで着られるジャケットが好きだ。
その野暮ったい雰囲気を、秋冬の素材がさらに演出してくれる。
雪や雨の水分を含むと、ますます素材に丸みが出て、グングン好みになっていく。


身頃は、大抵Aライン。
肩はなで肩で、そこから袖の振りへのラインに気を入れている。
質の高いテーラーリングのラインとも違う、ヨーロッパの古いハンティングウエアのラインがお手本だ。
袖山も適度に高く、胸幅は比較的狭い。
だけど抜けた感じの仕上がりをいつも目指している。安易にオーバーサイズにしたりしない。
体から離れる部分と、添う部分のバランスを ちゃんとしていたい。
それでいて、着る前から完成した服
或いは着た瞬間に完結する服ではなく、着る人が洋服との「距離」を埋めることで、その人にしか出せない雰囲気を演出してくれるような、そんな一枚であるのが理想である。



デザインといっても、机の上で編集した一枚も、それはそれでいい洋服なんだと思うけど
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なんでも交配したり編集したりしたものは、形よく、色よく、味も全て同じように甘く、本来よりも大きい。そして早い。それをたくさん作れば
沢山の人の腹を安く満たすことができるかもしれない。だけれども、その命やエネルギーは軽い。病気や虫にも弱い。
そこに栄養素としての諸々は十二分に足りていても、肝心の命が軽いんだ。
だから、それを食べる人も それと同じようになる。腹が満たされて、健康だと思っているが、病気や虫に弱い。
形よく、色よく、味も全て同じように甘く、本来よりも大きい。そして早い。
これが「良いもの」と思っている。
自力で生まれ、葉を伸ばし花を咲かせて実をなして、種を落とし枯れて次へ繋げていく。これが普通だ。特別に栽培されているもの以外は、みんなそうやって生きている。
小さくても、命が強い。でも、それが特別ではなく それが普通だ。
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デザインも、そうだと思うんだけれど、そう思える人は少ない。みんな日常的にデザインをしたりしないから 仕方がない。
形よく、色よく、味も全て同じように甘く、本来よりも大きく そして早く は、無いけれど
栄養素を並べて、バランスの良いデータのものでは無いかもしれないけど
小さくても、自力で生まれ、根を張り、その場にある栄養を吸い上げ、葉を伸ばし花を咲かせて実をなして、種を落とし枯れて次へ繋げていくデザインを繰り返していきたい。
強いデザインを創っていきたい。それが普通だからだ。
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