40代は難しい年齢だと思う。
30代後半は中途半端な年齢だと思う。まだ小さい尻尾の生えている蛙だ。
40代に精神的な若さは必要ないと思う。だけど、大人としてまだ低学年な気がする。
渋みのある言葉を言うには早い気がする。そもそもの経験が、まだ足りていない気がする。
軽い言葉を吐くには、もう大人すぎる。一応もう、尻尾の生えていない蛙だ。
いや、40代と一口には言えないだろう。
そもそも僕は今年42歳になる40代としてはまだまだ素人で、50歳が見えてきた先輩蛙からすると、随分とつまらないことを言い始めた「ああ 俺にもこうゆう時あったゲロなー」といわれてしまっている事だろう。
なんにしても、ムツカシイ。
そんなに、どしどしアップデートしていけない。
インプットと言っては、自分の中に無いものも取り込んでみるけれど、その形を維持したままアウトプットすることはあまり無い。
自分なりの形となって出てはくるけれど それが気に入れるかどうかはまた別だ。
ほかの人が気に入ったとしても・・・・・というか、そうなったら余計にややこしい。
自分が気に入らないな~と思った物を「良いね!」といわれてしまうのは、嬉しいことではあるけれど、はっきり言って恐怖である。
振り返れば、誰かに合わせてこれていたんだな と最近思う。
若い頃、「自分は誰にも合わせず突き進んできた!」そんな気がする時があるけれど、
実はおたまじゃくしだった頃の方が、誰かに合わせて手も足も生やしてこられたし
実際そのことで評価された。
自分で生やしたような気になったし、「尻尾を残したまま生きていってやろう!」とも思えた。けれど
こだわっていた尻尾も、徐々に小さくなり始めて ついには「はやく無くならないかな・・・中途半端で・・」と思い始めた。
そして今、すっかり蛙になった。さて、何がしたかったんだろう?蛙になったけれど。
家に帰れば、おたまじゃくしが二匹いる
「将来こいつにも、手が生えて足が生えて・・・」と目を細めてしまう。
「そのうちに、尻尾が小さくなって・・・・」
あっというまに、小さなおたまじゃくしも蛙になる。蛙になっちゃう・・・・・
そんな事をふと思う。そんなときに、当たり前だけれどこう思う。
「せめて、そこまでは生きていかなくてはいけないんだな」
当然、蛙になる前に独り立ちするだろうけど、蛙になった姿は見届けないとならない。
そのために 尻尾の無い蛙になった。蛙になりたくなったんだ。
自分のための人生なんてのは短いものだったな~、とそのときには 思うものだろうか。
よくわからないけれど。
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今、2020年の春夏に作りたい洋服のサンプルを作っている。展示会まで一週間くらいしかない。
相変わらず、人に伝えるのは難しく、全てのことを一人でやるには あまりにも偏った人間でありまして、ミスの連続でございます。大丈夫なんだろうか・・・・。
ただ、頭の中のイメージを形にしていくのは本当に楽しい。
この時は、心の底から本当に幸せを感じる
お金じゃないというのは、とても難しいかもしれない表現だけど、お金の計算をしながら形に出来たものは無い。
素人と言われてもしょうがない。そのくらい楽しい。幸せだ。
評価は自分では出来ないから、評価がされなくなって続けられなくなったら、残念だけどそこまで。そこでお終いだ。
イメージを形にする。常に幸せを感じるくらいに。
それをただただ繰り返せたらいいと思っている。
せめて、おたまじゃくしが蛙になるまでは。
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